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殉節(じゅんせつ)とは正義ために命をすてること

両雄とは近藤勇と土方歳三のこと

土方歳三が私がさきごろ昌宜(勇)と死を共にしなかったもっぱら慶喜公の冤の罪を

雪ぐ日のある事を期していたからである。今この様な状況になってしまった以上、

いさぎよく戦死するだけである。

参考:高幡不動尊資料、日野の古文書を読む会研究部会
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「殉節両雄の碑」高幡不動尊
明治7年、明治政府は戊辰戦争で朝敵となった戦死者の霊を親族や友人が祭る事を一切咎めないとする布告を出した。多摩地域でも佐藤俊正や小島為政、本田定年、糟谷良循らにより近藤勇・土方歳三の顕彰碑の建立が計画された。

高幡不動尊境内が選ばれ、碑文は小島為政の記した「両雄士伝」をもとに、旧仙台藩の儒者で大槻磐渓の撰文で1600文字の漢文にまとめられた。篆額は当初、徳川慶喜に松本順が小栗尚三を通じ依頼したが文章を読んで落涙し、回答がないまま松平容保に依頼された。

碑文そのももは明治9年に完成していたものの「殉節両雄之碑」は明治15年6月、神奈川県令沖守固から建立の許可が下りた。明治21年、高幡山金剛寺の不動堂北側に落成した。しかしこの場所はわかりずらく地元住民でも知らない方も多く、平成7年に建立された土方歳三像の隣に移設されたのは平成14年9月であった。

土方歳三・近藤勇の両雄をたたえる「殉節両雄之碑」は土方歳三の像と並び凛として二人の思いを語りかけています。