■佐藤俊宣の史料「今昔備忘記」を基に一部創作された部分があります
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共同研究新選組 (聞きがき新選組) 新人物往来社刊 昭和48年4月20日より
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のぶの想い出を誘う歳三直筆の小紙切れ  
世間の騒がしさも、」ようやく静かになった、今日この頃・・・・・・、春も浅い二月の初め、庭の小梅の枝も一時咲きほこった花を散らして、もう実をつける支度をしているようだ。

のぶは茶の間の半分ほど日差しの入った、いつもの所で、いつものように針を運んでいた。 姑は次の間の四畳半で、こちらを向いて見守ってでもいるかのように、同様つくろい物に精を出しているのだが、小用にでも立ったのか今はいない。

のぶには暫時の安らぎの一刻である。 こう言う時に何故かふと針箱の三段目の抽斗に指がのび、なんとなく小さい紙切れを取り出して、眺めるともなく眺めるのが、のぶの近頃の癖である。この紙切れには、

            「 使の者の身の上頼上候   義豊 」

と歳三の肉筆で認められた半紙の端を二寸ほど裂いたものである。 武人としては、どちらかと言うと優しい筆あとの、この紙切れを眺めていると、いつとはなしにこの家に起居していた頃の若者歳三の面影が浮んでくる。 かなり手を焼かせた頃であり、夫彦五郎や、姑に気兼ねをしたことなどが思い出される。


のぶの兄弟は、両親に縁が薄く、父の石田村の土方義諄が亡くなったのは、のぶが四歳の頃で、母は七歳の時に父の後を追った。
のぶは父の面影は思い出せない。 母については朧げながら記憶はあるが、ただ色の白い人で、膝へ乗るとフックラしていた感触だけが残っている。


のぶは兄弟五人の中で、ただ一人の娘であるためか、兄弟からも、また親戚からも愛されて育った。 とくに日野宿名主佐藤家の叔母には、幼い頃から目をかけられ、遂には叔母の強い懇望で、叔母の一人息子の彦五郎の嫁になってしまい、いまでは叔母は、のぶの姑と言うことになっている。 姑のマサは、のぶの父義諄の妹であるから、佐藤家へは土方家より二代続いて嫁いだことになった。


四歳下の弟歳三は、父母についての記憶は全く無いらしく、盲目の長兄に代わって家督を嗣いだ次兄喜六夫婦が親代りであり、のぶ同様に日野の叔母は、佐藤家には幼い子供がいないためかこの歳三をひどく可愛がった。


歳三は根は優しい子であるのに、なぜか意地の張った性質で、少年の頃はすぐ上の女兄弟と言う気易さと、顔立ちも二人はよく似ているので、多少気の合う所もあったものか、のぶにはよく口をきいたが、他人には口数の少ない、むしろ人見知りをする子供であった。


青年期に入ってからは苦労したためか、表面的ではあったようだが、一応人付き合いの良い若者となり、江戸で女出入りを起こしたのはその頃である。 あの事件では、のぶもホトホト手を焼いたものであったが、いまとなればそれも懐かしい思い出の一つでもあった。


このように、のぶの想い出を誘う歳三直筆の小紙切れと言うのは・・・・・・。
            
市村鉄之助が佐藤家に辿りつく  
その頃・・・・・・、半年ほど前の、明治も二年となり夏の盛りも過ぎようとしている七月半ばの頃であった。 その日は昼過ぎから雲行きが怪しくなり、一降り来そうな気配であったので、源之助は傘を借りて来たが、たちまち篠つく夕立になった。


源之助は、いつものように谷保村の書家本田覚庵宅よりの帰りである。 近頃は書道の他に、江戸より出向の武田温斎より漢詩を学んでいる。 日野宿の多摩川渡舟場辺りからは、夕立が上りそこねたか、梅雨模様の陰気くさいシトシト降りになった。

ようやくわが家に着いた時は、雨のせいか、もう夕闇が辺りを包んでいた。 雨で濡れているので、台所から這入ろうとした時、入り口に弟の力之助と漣一郎が、張り番でもしているように突っ立っている。


「おい力之助も漣一郎も、何をしているんだ」 と声をかけると、何か言おうとしている漣一郎を、次弟の力之助が押さえて、「兄さん、おっ母さんを呼んで来るから、ちょっと待ってて」 その後を漣一郎が引き取って、「おっ母さんが、いま、誰が来ても家へ入れてはいけねえと言ったんだよ、兄ちゃんだって駄目だ」


源之助はギョッとした。力之助は奥へ母を呼びに行った。 家全体の様子がおかしい。 下女も下男も姿を見せていない。また、いつもカン高い声で何か世話を焼いている母親のぶの声も聞こえない。 「漣一郎、なにかあったのか」


「ウン。おかしな人が来たんだ。今、八畳で、お父っつあんと、おっ母さんと、それにお祖母さんもいるよ。 その変な人と話をしているんだ」
その時、母親のぶが駆け出して来た。 袖口で眼を押さえている。泣いているのだ。「源之助かい、早くこっちえお出で」


母は足を拭くのも焦躁しそうに、八畳の間に連れて行った。部屋には、もう行燈に灯が入っていた。 そこには、父も祖母もいる。そして見慣れぬ若い男が、面をふせて座っていた。父は源之助に、

「源之助、こっちへ来て、これをよく見るのだ」

気のせいか父彦五郎の声音もしめっている。源之助は、言われるままに、父の差し出したものをみた。それは一葉の写真である。 行燈に近寄せ、よく見るとその写真は叔父歳三の膝から上の洋服姿である。父は、「源之助、歳三叔父は死んだ。とうとう戦死したよー


この人が歳三の写真をはるばる、蝦夷の函館から持って来てくれたのだ。間違いはない。これが証拠だ」と言って、小さな紙切れを見せられた。 それには叔父歳三の肉筆で、


         「 使の者の身の上頼上候  義豊 」


と書いてあった。「まだ委細しいことは聞いていないが、この五月十一日頃に五稜郭の外で戦死したらしいー。 相手は鉄砲だそうだ。さぞ無念であったろう」 その時、突然歳三の使者と言う若者が、ウーンと呻いて両手で顔をおおった。 母と祖母は先刻から声を殺して泣いている。 母の泣き声はだんだん高くなっていた。 源之助も熱いものが頬を伝わるのを覚えた。


暫らくしてして、源之助は写真を行燈に近づけて、再び凝視していたが、思わず、「お父っつあん、これは何だ。 


写真の上の方の瑕ー歯型じゃないのか」  「えっどれ・・・・・・」 彦五郎も、母も、祖母も、そして若者も、その写真を喰入るように見つめた。


「ウン、そうだ。 これは歯型だ。 確かに歳三の歯型に相違ない」 彦五郎は叫ぶように言った。不鮮明ではあるが、写真の上部に半月型にウッスラと、歯型のようなものがみえる。


あらたな感動の波が、夕闇の中に一同を包んだ。


乞食姿の市村鉄之助のすがたに涙・涙   
歳三の使者と言う、この若者が名主彦五郎宅を訪れたのは、激しい夕立のさ中で、酒薦を頭から被り、それも雨に濡れて、雫がポタポタ落ちるのを引きかぶった乞食同然の風体で台所口を覗き込んでいた。 

それを下女のお松に見とがめられた。 お松は再三追出そうとしたが「家の人に会わせてくれ」と言って、出て行こうとはせず、終いには、懐中から何やら包みを取りだし「これを家の人に見せてください」などと言う。

 お松も余りのしつこさに、ちょうど出て来たのぶに、委細と共にその包みを渡した。のぶは包みの中のものを見ていたが、血相を変えて奥へ引き返し、彦五郎と何事か相談したものか、その乞食に裏庭に廻るように命じた。 そして何故か、乞食は風呂に入れられ、源之助の着物に着替え、彦五郎の部屋に連れて行かれた。そして襖はピタリ閉められた。


この乞食は、はるばる蝦夷函館より、土方隊長の命のより、苦心の末、この家に辿りついた歳三の小姓市村鉄之助と称する十六歳の若者であった。 歳三よりの使者の役目とは義兄彦五郎に歳三が近藤勇断首後、江戸を離れてからの戦いの模様、また函館における戦況を伝えることと、函館で撮影した歳三の写真を届けることであった。


鉄之助は長途の旅の疲労と、ようやく辿りついた安心感からか、何も物語ろうとせず、ただ啜り泣くのみであった。 のぶはこの若者を早く休ませてやりたいと思ったが、独りで置くことに不安を感じ、源之助の部屋に連れて行った。 鉄之助にとっては、何も考えられない腑抜けのような日が三日過ぎた。 


この家の主人彦五郎を初め、家族一同は、彼を気づかってか、あまり話しかけない。腕白坊主の漣一郎だけが、時折愚にもつかない質問をするのみであった。 鉄之助も京都以来、函館までの戦争生活と、函館脱走後の風の音にも怯えた日野宿までの苦しい旅の経験から、土方隊長の親戚とは言え、名主宅であるためか人の出入りも多く、まだ鉄之助自身もこの奥座敷の部屋からは一歩も出たことはなかった。


この家の長男の源之助は、鉄之助より三つ四つ上の二十歳ぐらいであろうか、柔和な眼をした優しそうな人である。 しかし、これまた口数は少なく、両親に止められてでもいるのか、戦争の話は問いかけて来ない、ただ昨晩、枕をならべてから一言、「歳三叔父は君を可愛がっていたろうなア、根が優しい人だから」と言った。 鉄之助も「ハイ」とだけ答えておいた。 鉄之助には土方隊長の事を尋ねられるのが、一番辛いことであった。


佐藤家に来てから、五日目の昼過ぎ、御新造さんが(鉄之助は彦五郎の妻のぶが、皆から御新造さんと呼ばれていることを覚えた)「鉄之助さん、疲れは幾らか取れましたか」と言いながら部屋へ這入って来た。「ハイ、何かとお世話になります。もう大丈夫です」と答えると、「それは良かった。 

実は主人が、少しお話したいと言っているのですけれど、よかったら向うの部屋まで来てくれませんか」 鉄之助も覚悟はしていた。土方隊長の使命は忘れてはいない。 のぶに随って、一番奥の立派な部屋へ連れて行かれた。


よく陽の当たる部屋のようだが、障子は閉められていた。 そこには、彦五郎一人ではなく、源之助と他に年輩の人が二人いた。彦五郎は、その二人に簡単に鉄之助を紹介した。 すると二人の内、体格の頑丈な人が、さびの利いた太い声で、「わしは歳三の一番上の兄だ。 これにいるのも、やはり次兄であるから何の心配もいらない。


遠路本当に御苦労でした。 お前さんが来たことは、彦五郎さんから直に知らせがあったが、疲れているだろうと思って今日まで我慢していたが、もうそろそろ良いだろう、ひとつと歳三の最期の模様なぞ聞かせて下さい」 この人は目がみえないらしい。 後で判ったことだが、盲目の人は土方隊長の長兄で、為次郎と言い、もう一人は兄の喜六と言う人であった。


鉄之助は、改まって尋ねられると、何処から何を話し出したら良いのか判らなくなり、口ごもっていると、源之助から、「鉄之助君、歳三叔父さんは君を可愛がっていたそうだね」と声をかけられた。 思わず源之助の方を見ると、例の柔和な眼が優しく、そそがれていた。「はい隊長は本当に優しくしてくれました。 私が五稜郭を出る時、隊長は・・・・・・