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土方歳三  一弦の恋を貫く   
鉄之助の佐藤家での生活は余り快適ではない。家人との接触も少なく、外出も出来ない。 源之助が彼の無聊を慰めるつもりか、習字の手本や、八犬伝の絵草紙などを貸してくれるが、それも余り興味が持てなかった。

残暑厳しい午後である。この家の庭先には剣道場があり、今日も稽古の掛声と竹刀の響きが聞こえて来る。 主人彦五郎は近藤隊長の父周助より極意皆伝を許されているとか・・・・・・。「鉄之助君、退屈だろう」と言いながら源之助が這入って来た。

「もう少しの辛抱だ。官も近く、特別の者を除いては、あまりやかましく詮議立てはしなくなるらしい。それまでの我慢ですよ」 そんな慰めも言ってくれたが、すでに日本国中官賊の天下になっている今日、鉄之助には対処すべき方法が皆目見当がつかない。

源之助が、歳三の辞世の和歌をもう一度見せて欲しいと言うので、貸し与えると、何度もなんども読み返しながら、感慨にふけっている様子であった。 この時フト鉄之助は歳三に依頼されていた、あることを思いだした。

「源之助さんだけに、少し話しておきたいことがあるのですが」  「私だけに・・・・・」

「実は、土方隊長が私を五稜郭から送り出す時に、言いにくそうに、「市村、日野には源之助と言う俺の甥がいるが、あ奴だけに話してくれ」と申されるのです」  「・・・・・・」  「それは、江戸の近くの戸塚村に、三味線屋、いや長唄とか言う遊芸の師匠をしている、コトと言う人に、機会があったら源之助から

       
歳三は蝦夷で元気で居るが

                     
到底江戸へは戻れそうもない

                    
          いつかの約束は忘れてくれ

とだけ伝えて貰いたいとのことでした。たぶん女の方でしょうが、そのコトと言う人は、隊長とはどうゆうお知り合いなのですか」

すると、源之助は感無量の体で、「そうですか。その人は、お琴さんと言って、叔父の許婚みたいな人です。親父や石田村の伯父達が仲立ちして、歳三叔父の嫁になる人だった。 しかしその頃の歳三叔父は嫁取りどころではなかったらしく、約束だけで終ってしまったのですよ」

鉄之助は、歳三が懐中から、見慣れぬ小さい糸屑のようなものを落としたとき、顔を赤らめながら、これは、三味線を弾く時に指にはめるものだと言ったのを覚えている。 たぶんそれは、この琴と言う人から貰ったものであろうと気がついた。

私も叔父の供をして江戸へ行った時、一度だけ合ったことがある。 美しい人でもあったが、声がとてもきれいだったのを覚えている。 だが、その伝言を伝えるのは難しい。叔父はそんな話のあったのは五、六年も前のことであるし、幕府瓦解の際、江戸近辺は物騒だからと言って、何処かへ越してしまったらしく、その後こんな世の中になってしまったので、何の音沙汰もないのだ。


しかし歳三叔父が戦死してしまったのでは、探しても仕方がないだろう・・・・・」 鉄之助は、あの厳しい隊長の半面を覗き見したような気がして、この話は結局不幸な結末とはなったものの、何故かほのぼのとしたものを感じた。


           
斎藤一諾斎の訪問、市村鉄之助将来を語る   
鉄之助は、源之助から「気分直しに一汗かかないか」と道場へ誘われた。近藤先生や土方隊長、そして沖田さんが、盛んに竹刀を振るった道場であると聞かされ、その気になった。 鉄之助は思いの外身体がよく動き、源之助から「実地場を踏んでいるだけある」と言われた時、久しぶりに、若者らしい血の躍動するのを覚えた。


そして、その夜、ヒョッコリ僧形の斎藤一諾斎が訪ねて来た。 この人は日野宿の近くの中村村の出身で、鉄之助同様、歳三の命で函館を脱走して、今は何処かに隠れているらしい。本名は秀全と言い、学問もあり、元来が僧侶であるためか、弁舌が立ち、土方もかなり重用していたようであった。

五稜郭以来の対面でもあったので、夜を徹して二人は語り明かしたが、斎藤は鉄之助に対してこれからの明治の御代は青年を必要としていること、日本も広く世界に国交を求め、大いに変革して行くであろうから、旧来の妄執は断つべきであるなぞと話してくれた。


鉄之助は、昼の道場における血の動きと言い、また斎藤の言う、時代は若者を求めているとの言を聞き、僅かではあるが、何か将来に対する希望のようなものが湧いてくるのを感じた。たぶん斎藤は、彦五郎の意を汲んでの鉄之助への説教であったのであろう・・・・・・。



鉄之助が佐藤家を訪れてから、すでに二年の歳月が過ぎ、明治四年の春が巡って来た。  世間は明治新政府の次々と施行する新政策で戸惑いながらも新しい息吹に包まれて行った。 新都、東京を離れて十里の日野宿にも、新しい波は良かれ悪しかれ打ち寄せてくる。天然理心流の佐藤道場の竹刀の音も遠慮がちで、日野の空気も世間並みに大分変ってきた。


鉄之助も十八歳になり、心身共に大人びて来たのは当たり前であるが、漫然と佐藤家の食客的身分でいることに対して、近頃少なから憔懆を感じて来たのも無理ではない。そんな時、一通の手紙が彼の元へ舞い込んだ、。 それは、もう逢うこともあるまいと諦めていた、兄辰之助からのものであった。


手紙によれば、慶応四年に江戸で新選組を脱走してからの苦労話、そして今、故郷の近くの美濃太田辺で、何か商売をしており、大変繁昌している模様である。 

最近商用で、三州岡崎に行った際、元新選組のやはり旧大垣藩士であった島田魁に会い、鉄之助の居所を知ったと共に、江戸で女出入りの末、斬り合いをした野村利三郎の戦死の事も聞いたらしく、野村は気の毒であるなぞとも記してあった。


また父は維新のドサクサの最中亡くなったが、母は丈夫で、長兄と細々暮らしていることも知らせて寄こした。 そして、商売が忙しいから鉄之助に、此方へ来て手伝って貰えないかと言って来たのである。 歳後に母が鉄之助に逢いたいと言っている旨を書き添えてあった。


父は死亡したが、母の生存のこと、不信の兄ではあるが、タツノスケの時流に乗った世渡り上手の姿・・・・・・。

鉄之助の気持ちは少なからず動揺した。しかし、彦五郎から「一生面倒を見るから、日野へ居着いたらどうだ」なぞと言われたことが胸底に深く内攻している。



市村鉄之助、土方歳三の墓前へ  
早朝、源之助は母親のぶにたたき起こされた。 それは、鉄之助がまだ薄暗い内に、旅支度をして裏門から出てゆくのを下男が見たと言うことであった。 それに彦五郎宛の手紙が彼の机の上にあったと言う。 源之助はハッと胸を突かれた。 近頃の鉄之助の様子から見て、いずれはこのような事態が来るのを予想していたが・・・・・・。彼の心情を思うと哀れでならなかった。

「おっ母さん、俺には行先は見当がついている。 連れ戻してくるから、親父には黙っていてくれ」 源之助は、太陽に真向かいに浴びながら馬を飛ばせた。 駆けながら、「もしや、死ぬのではあるまいか」 なぞと不吉なことが脳裏をかすめた。 本道から石田寺に入る道は狭く、ようやく墓地に着いた。源之助の予想通り、鉄之助は木の香りも新しい歳三の墓標の前に端座していた。


源之助は暫らく言葉をかけるのを躊躇っていると、鉄之助の方で気がつき、「やはり来ましたね。 源之助さんがたぶん追いかけて来るだろうと思っていました」  「俺もぼんやりしていたよ。 君から借りていた歳三叔父の辞世を昨日返してくれと言われた時に、何故気がつかなかったのだろう.。  何も言わなくても良いよ、俺には判っているのだ」


「そう言われると恥かしいですが、ニ、三日前に兄から手紙が届いて、父は亡くなったが、母は丈夫でいるらしいと知ってから・・・・・・」
「判ったよ。 とに角一度戻ろう。 もう親父も止めはしないだろう。君は馬に乗り給え、俺が引いて行く」 源之助は手綱を引いて歩き出した。境内の桜の蕾が、朝の太陽に淡紅色に染められていた。


源之助は歩きながら、もう何も言うことはないかと考えた。そして別なことを喋り出した。 「大尽の近くを通るが、今日は寄るのは止そう。 改めて挨拶に行った方がいい」 大尽とは、歳三の生家土方家の通称であろ。

「そうそう、石田寺の桜をみて思い出したが、お縫いさんが、今年も君と一緒に高幡不動の花見に行くのを楽しみにしていると言ってたぜ」鉄之助は去年の春、のぶや子供達の供をして、隣村高幡不動に花見に行ったことを思い出した。 その時、歳三の次兄喜六の娘で、お縫いさんと言う人も一緒だった。


お縫いさんは薄倖な人で、身体が弱いため、一度近所へ嫁いだが不縁となり、それ以来、生家で病がちの身を養っているのだった。 歳三は、この姪を哀れんで可愛がっていた。 病身のせいか、色の透きと通るように白い、立居振舞いの優しい人である。ハラハラ花びらの散る桜の下で、この人から細々と歳三のことを聞かれた。


鉄之助は想い出すままに色々と話したが、この人は長いまつ毛を涙で濡らしながら、じっと聞いていた。 滅多に外出することのない、お縫いさんは今年の花見を待っていると言うよりも、鉄之助の語る歳三の話を楽しみにしているのであろうと想った。 この人はもう二十八、九にもなろうか、鉄之助は何故か母を感じていた・・・・・・。